久間利彦 先輩 ~JCも遊びも手抜きをせず、互いに裏の裏まで分かり合う~
JCには、1978年に入会した。当時、31歳だった。入会する前は、JCの存在すら知らなかった。入会早々、目の覚めるような体験をした。同期の仲間に、医師の高木俊作君、歯科医師の藤井久富君、灘田義治君がいた。第一回仮入会員セミナーのとき、彼らが皆、遅刻して来た。それに対して、先輩の結城政憲さんが激怒された。正直、痺れた。「JCとは何と厳しいところか。大変なところに入会してしまったなあ」と思った。もちろん、約束の時間を守るというのは当たり前のことである。しかし、それができないことに対して、こうも叱ってもらえるとは、ありがたいことなのかもしれない、とも思った。
現役時代は、週に4、5日程度は、何らかの活動をしていた。とりわけ理事をさせてもらっているときは、恥をかきたくなかったので、一所懸命やった。仲間の協力も大きかったと思う。また、遊びにも手抜きがなく、海生俊史さんのもとで野球の同好会を結成し、練習試合をするのに、わざわざ広島市民球場を借り切ったこともあった。対戦相手にヒロコシグループのチームを指名し、試合後はヒロコシの店でドンちゃん騒ぎをした。メンバーとの麻雀は、連日連夜で、夜11時過ぎまでやった後、明け方の3時~4時まで飲んでいた。そんなことを毎日やっていると、皆、人間の地が出る。互いに裏の裏まで分かり合えるようになった。今、振り返ってみると、JC活動の一所懸命さと、遊びの派手さが表裏一体になっていた。もちろん、時代も良かったのかもしれない。
彼らとは、生涯に亘って付き合える仲間になった。JCで得た友情は、言わば自分の財産である。八〇年に会員交流委員会の委員長をさせてもらったが、そのときの理事長である大之木伸一郎さんは、卒業されてからも、長い間、当時の理事メンバーを自宅に招いてくださった。また、元来の性分でもあるが、何事も手抜きをしないということに関しては、JCで一層磨きがかかったように思う。JCに入っていなかったら、狭い世界に留まった、スケールの小さな人間になっていただろう。
次のインタビューは、同級生で、日本JCにも出向された経験のある岩岡三十次さんに繋ごう。