理事長挨拶

理事長  三戸 規弘

 
 
 

【基 本 方 針】

選ばれるまちの創造
選ばれ続ける組織の構築

 

【スローガン】

海闊~まちと共に~

 

 

 

 

 

【所   信】

 

はじめに

 

 「呉の魅力ってなんですか?」

 進学先の関東で、人に聞かれた。

 そのとき、とっさに頭に浮かんだのは、瀬戸内海の景色だった。

 

 思えば、高校時代には部活動で上手くいかず落ち込んだときや、失恋をした時に瀬戸内海の穏やかな波を見て、音を聞き、心を落ち着かせていた。

 

 このまちの海は、私にとって、安らぎをくれる場所であり、地元愛を感じる事が出来る場所だ。

 

 大海が広々としていることを指して「海闊」という。

 言葉や発想などが限りなく広がることのたとえとして用いられる。

 

 呉のまちは、「此呉湾ヲ除キテ他ニナシ」という旧帝国海軍の調査のもと、1889年に海軍区「鎮守府」の地として選ばれたことにより発展の口火が切られた。

 その後、戦中は東洋一の軍港として発展を遂げ、数々の戦艦を造り、最終的には戦艦大和の建造に成功した。

 惜しくも大和は沈んだものの、巨大船を造船した技術が、戦後にもの造りのまちとして拡大する要因となった。

 このように、呉のまちは、海を起点として広がってきた「海闊」のまちである。

 

 現在では、全国でもワーストクラスで進む少子高齢化や、大規模製鉄所の撤退など大きな転換期を迎えている。

 

 今こそ言葉や発想などを限りなく広げて、新たに選ばれるまちにしなければならない。

 

海で選ばれるまち呉

 

 2020年の国勢調査において、呉市は、5年間の人口減少数が中国地方の全107市町村で最大であった。2045年には、総人口が15万人まで減少し、生産年齢人口が現在の4割減少するという推計もある。

 このように生産年齢人口の減少が進行した場合、呉市内の住民の個人消費は、毎年45億円ずつ減少すると予測されており、その結果として、経済が回らなくなるおそれがある。

 そこで、観光客による消費額を増加させることが重要となる。

 観光客による消費額を増加させるための方法の1つとして、呉での滞在時間を長くすることがある。長く滞在すれば、それだけで移動、食事、宿泊といった消費額が増加するからである。

 ところが、呉市の観光客動向等調査業務報告書によると、現在、呉市に訪れる観光客のうち、約8割が日帰りである。その要因を検討するに、これらの観光客は、その多くが大和ミュージアムを訪れているが、周遊先が2か所以内にとどまっている。

 つまり、大半の観光客が、観光の主目的を大和ミュージアムに来訪することとし、その他に1か所立ち寄る程度で帰るという流れになってしまっていると考えられる。

 これらのことから、観光客の呉市での滞在時間を増やすために、大和ミュージアム以外にも、観光の主目的となるような呉のまちにある魅力を発信することが求められている。

 呉のまちで観光の主目的となるような魅力といえば、海である。

 市民へのアンケート結果を見ても、約7割の人が、呉の魅力を「自然」であると答えている。

 呉は、瀬戸内海で最も長い約340㎞の海岸線を有しており、大小の島々が所在しており、これらの島々が連なる瀬戸内海の美しい景色は、「多島美」(たとうび)と称されている。

 江戸時代には潮待ちの名所として知られ、朝鮮通信使も訪れるなどして栄えたという歴史に触れる事も出来る。

 また、海上自衛隊の全国五大基地の存在する場所でもあり、海に浮かぶ潜水艦などの景色も全国的に珍しい。

 さらには、穏やかな海で、釣りやマリンスポーツを堪能することもできる。

 このように、呉の海には多くの魅力があるが、十分に発信しきれているとは言い難い。

 呉のまちは、軍港の海として選ばれることで始まり、ここまで発展してきた。

 これからは、観光の海として選ばれるまちにしていく。

 

成長を伝える広報

 

 呉のまちにおいて、今なお呉青年会議所の存在は知っているが、何をしているのか知らないという声を聞くことも多く、他のまちづくり団体や経済団体と混同されている場合もある。

 呉青年会議所は、まちづくりに取り組むだけでなく、会員の人づくりにも取り組む団体でもある。20歳から40歳までの会員で構成される青年会議所のメンバーは、青年会議所活動を通じて、日々市民としても経済人としても成長している。

 その成長しているメンバーの姿を伝える事で、呉青年会議所の人づくりの団体としての側面を広く知ってもらいたい。

 そうすることで、市民の中に、呉青年会議所の地位を確固たるものとして築いていく。

 

選ばれる団体となるための拡大

 

 会員の減少は組織において最重要課題である。

 呉青年会議所が選ばれるためには、呉青年会議所でしか経験出来ない強みを、市民に確実に伝えていく必要がある。

 また、市民にも、「自分の強みを活かせる団体だ」と思うような環境を整える事も重要となる。

 多くの市民から呉青年会議所が選ばれ、会員の多様性が増すことで、団体としての成長に繋がり、活動の幅も広がる。

 会員拡大活動を通して、共に活動する仲間を増やして行き、選ばれ続ける団体になる。

 

歴史に基づく強みを知る組織づくり

 

 呉青年会議所には、71年の歴史がある。

 この歴史は、全国にある他の青年会議所と比べても長いものであり、この間に先輩諸兄が紡いだ経験を、現役会員が継承出来るようにしなければならない。

 そのためには、これまで行ってきた事業をもっと知らなければならない。

 やり方としては類似のものを行っていたとしても異なる社会課題に向き合っていることもあれば、全くやり方の異なる事業であっても、解決しようとした社会課題が類似していることもある。

 こういった過去の事業の分析を通じて、呉青年会議所の歴史を振り返る事で、呉青年会議所の変わらないところや、変わりゆくところを知り、組織としての強みを再確認していく。

 会員一人一人が、呉青年会議所の組織としての強みを自覚することが、選ばれ続ける組織になるための基礎となる。

 また、呉青年会議所と高知青年会議所は、兄弟JCとしての関係があり、毎年高知呉合同例会を開催している。この高知呉合同例会を、本年度は呉の地で開催する。合同例会を通じて、互いの強みを再確認する機会としたい。

 

広島ブロックアカデミーという機会

 

 本年度、呉の地にて、日本青年会議所中国地区広島ブロック協議会のブロックアカデミーを主管する。この事業は広島県内にある12青年会議所の新入会員・仮入会員が呉のまちに一堂に会し、青年会議所の理念や目的を学ぶ事はもちろん、青年会議所間の垣根を超えた交流が目的となる。広島ブロック協議会の事業を主管するという事は、呉青年会議所の「今」を他の青年会議所に見せる機会である。

 内容については、広島ブロック協議会と協調して進めていくことになるが、「さすが呉だ」と言われるくらい思い切った事業構築と広島ブロック協議会の事業で得た経験を伝えることのできるブロックアカデミーにしたい。

 私自身、2016年にこの事業に参加し、その時知り合ったメンバーとは今でもお互いに切磋琢磨しあう仲間である。また、呉青年会議所の活動にとどまらず、広島ブロック協議会でも多くの役を経験させてもらい、その都度、他の青年会議所のメンバーの方々と交流し、多くの学びとご協力をしていただいた。

 また、普段共に活動をしていない他の青年会議所のメンバーと意見交換をすることで、改めて呉青年会議所や呉のまちの特徴や良さ知ることができた。

 このように、広島ブロック協議会の事業を通じてしか得られない経験がある。呉青年会議所メンバー全員でこの事業をやりきり、組織としての結束を深め、そこで得た経験を次世代のメンバーにも伝えていきたい。

 

おわりに

 

 呉青年会議所は、71年続いてきた団体であるが、どの時代にも「これが正解だ」というものが事前に分かっていたことはないだろう。1年間という区切りの中で、正解の見えないまちや組織の課題に対し、共に全力で取り組み、言葉や発想を広げてきたからこそ、ここまで選ばれてきたのだと思う。

 

 私も、呉青年会議所に入会してから8年が経った。

 

 まちの課題に対し真剣に向き合う先輩の背中に食らいついてきたつもりであったが、現在では、後輩から背中を押されることも増えてきた。今の立場になってみて、自分がやりたいことをするために、どれほど先輩方が動いてくださっていたか理解出来るようになった。

 

 「してもらった事は後輩に返しなさい」

 

 先輩から言われて、どういう意味か分からなかった私も今でははっきりと分かる。

 これの繰り返しが71年間、組織が選ばれ、続いてきた原動力なのである。

 

 「海闊」は、度量が大きいことのたとえとしても使われる。

 まさに、私は、今まで度量の大きい先輩方に助けていただいたのだった。

 

 今年度は、度量を大きくすることで、メンバー全員が言葉や発想などを限りなく広げていける、そんな「海闊」な1年にしたい。

 

 この呉を選ばれるまちにするために。

 

※参考 
 令和2年国勢調査結果

 

 呉市第5次呉市長期総合計画 令和3度~令和12年度(2021~2030)

 

 呉市の若者(高校生)の定住志向に関するアンケート調査 令和2年3月

 

 呉市マーケティングによる戦略策定を行うための観光客動向等調査業務報告書

 

 呉市民意識調査結果報告書 令和元年度

 

第72代理事長 三戸 規弘