大之木小兵衛 先輩 ~信念に謙虚さを持ち合わせる~
入会してからの9年間、自分はまさに猪突猛進のJC生活を送っていた。その頃の自分を支えていた信条は、「誰の力も借りず、全て一人でやる」というものだった。この考え方ががらりと変わったのが、入会10年目の2002年にアカデミー委員会の委員長をさせてもらったときだった。当時、37歳だった。
この年、第2回仮入会員セミナーを江田島の海上自衛隊術科学校で行った。しかし、その実現に至る道は決して平坦ではなかった。術科学校の前身は、言わずと知れた海軍兵学校である。日本の海軍兵学校は、英国のそれとは異なり、兵法や砲術のみならず、英語や仏語、さらには哲学までもが教えられていた。そこは、まさに「Gentleman(紳士)育成の場」であった。「このような歴史ある地で、仮入会員に紳士然としたJCマンになってもらいたい」。そんな思いで、ここを第2回仮入会員セミナーの場として選んだ。
このセミナー計画での最大のクライマックスは、大講堂での閉校式だった。ところが、戦前の海軍兵学校、そして戦後の海上自衛隊術科学校の歴史を通して、あの大講堂が外部の団体によって公式に使用されたことは、一度もなかった。言わば、「神殿」として扱われてきた建物だった。そのため、大講堂の使用許可を求めて、呉地方総監部を訪ねたものの、「何を言っているんだ。君はあの講堂がどういう場所かよく分かっているはずだろう。ダメに決まっているじゃないか」と断られた。それに対して、「私は本気なんです」と必死に訴えたが、全く取り合ってもらえなかった。
そんなやりとりを何回か繰り返した後のある日、「もう仕方がない。一術校へ直談判するしかない」と決起した。そこで応対してくださったのは、広報係長の山田さんだった。山田さんは、自分の話にじっと耳を傾け、最後に一言「興味深い」と言ってくれた。そして「校長に相談してみましょう」と約束してくれた。それから何日かが経過し、一時は諦めかけていた大講堂の使用許可がついに下りた。これ以上の感激はなかった。
セミナーでは、ちょっとしたハプニングがあった。大講堂での閉校式の際、校長の訓示が予定されていた。ところが、司会のアナウンスで一同起立したものの、校長が現れなかった。後で分かったことだが、スケジュールの進行が早すぎたため、校長がまだ部屋を出られていなかったのだ。このとき、閉講式に臨んだ理事長の奥原祥司君以下、全員誰一人、微動だにせず、直立不動の姿勢で待ち続けた。その後、事態を知らされた校長が急いで駆けつけてこられた。この「異変」が解消されたのは、一同起立してから約七分後だった。その場に居合わせたメンバーは、これを「沈黙の七分間」と呼んだ。
ハプニングはあったものの、第2回仮入会員セミナーは、無事終えることができた。その後、お礼を言いに、山田さんのもとを訪ねたところ、次のように言われた。「立派なセミナーでした。正直、青年会議所という団体を見直しました。入念な打合せ、膨大な資料、仮入会員の方々の態度の良さ、そしてあの大講堂での沈黙の七分間。本当に感銘を受けました。あの大講堂をあなたたちに貸して良かったと心の底から思っています。但し、大之木さん、あなたの熱意だけであの建物の使用を許可したわけではないということをよく理解しておいてくださいね。あなたの思いを何とか実現させようと、必死に動かれていた副委員長の古本さんや、幹事の小松さんの真摯な姿に心を打たれて、許可を出したのです。あなたは本当にいいスタッフに恵まれていますね。校長も同じことを言っていましたよ」。
この言葉を聞いたとき、まさに脳天を突き抜けるような衝撃を覚えた。これまで、自分は、やる気さえあれば一人で何でもでき、実際そうやって修羅場をくぐってきたという自負を持っていた。そこには、周囲の人に支えてもらいながら、事をなし得たという謙虚さや、感謝の気持ちがまるで欠けていた。その思い上がりに気付いた瞬間、自分は一皮むけた。信念は絶対に必要だが、そこに謙虚さを持ち合わせることで、事をなす上での「構え」が変わった。
その翌年、理事長をさせてもらったとき、「構え」が変わった自分は、「理事長の信念はみんなに支えてもらっている。だから、みんなの力を借りて、信念を遂げたい」と思っていた。あのときの経験がなければ、とてもそんな風には思っていなかっただろう。
仕事の面でも変化があった。あの頃、阿賀地区に介護支援施設を建てる予定があった。以前の自分であれば、何から何まで一人でやろうとし、また成就の暁には、全て一人でやり遂げたと思い込んでいただろう。それが、あのときの経験を境に、自分の信念ありきではなく、部下をもっと信じられるようになり、一緒に取り組むという姿勢が生まれた。
次のインタビューは、海生知亮君に繋ごう。「あの沈黙の七分間」の場に仮入会員として居合わせた一人だ。彼はJCに入って本当に変わった。