JCで一皮むけた経験

岡俊治 先輩  ~各々が自分の役割を果たせば、組織は必ずうまくいく~

 JCには、1985年に入会した。当時も入会勧誘には力が入っており、父に相談したところ「経営者というのは孤独なものだ。JCに入ると、相談できる仲間が増えるのではないか。入ってみてはどうか」と言ってもらえた。また、呉の名立たる企業の経営者が集まる場に入れさせてもらえることにも魅力を感じた。そこで、入会の意を固めた。30歳になる年だった。
同期入会の三宅清嗣君は、当時、会社では一営業マンでしかなく、JCに出席すること自体、難しかったようだった。それに対し、個人商店(醤油店)を営んでいた自分の場合、多少、時間の融通がきいたため、とにかく出席することを第一義に考えることにした。また、自分には「まちをこうしたい」といった高邁な考えはなく、むしろ、「そういった思いを持っている人の役に立ちたい。その結果、喜んでもらえたらそれでいい」と考えていた。

 

 89年、総務委員会の委員長をさせてもらった。総務委員会という性格上、内部向けの作業が多かったが、出席してくれるメンバーが少なく、自分と幹事の二人だけで作業を行うことが少なくなかった。やはり委員会メンバーが来てくれるというのは、スタッフにとってありがたいことだと思った。

 

 翌年から5年間は、仕事の方が忙しく、フロアー・メンバーの年が続いた。但し、総務委員長をさせてもらったとき、幹事との二人作業がなんとも寂しかったことを思い出しながら、「役に立たないかもしれないが、とにかく出席だけはしよう」と心がけた。どの委員会も、一年限りであり、毎年が一期一会だと思っていた。フロアー・メンバーではあったが、出席だけはちゃんとしていたので、それなりに存在感はあったと思う。

 

 五年間ほど、フロアー・メンバーを続けて、いよいよ自分のJC生活も残すところあと一年だけとなった。果たしてこのまま卒業してしまっていいのだろうかという思いが正直あった。そんな中、次年度(95年)の理事長が同期の三宅清嗣君に決まり、もし声がかかるようなことがあれば、やらせてもらおうと思うようになった。

 

 ある日、三宅君から電話がかかってきた。「岡さん、ちょっと時間、とれませんか」と言われ、会うことにした。クレイトンベイホテルでうどん定食を食べながら、「専務理事をしてもらえませんか」と頼まれ、それも「総務室も含めて、運営系の全てをやってもらえませんか」と言われた。ただでさえ、専務理事という役は忙しいというイメージがある。それに加えて、総務室も見るとなると、忙しすぎてやっていけないのではないかと思った。

 

 思ったままを話すと、「岡さん、何もかも自分でやろうとするからそう思ってしまうんですよ。運営ラインには、事務局長も、総務室長も、総務委員長も、広報渉外委員長もいます。彼らの役割は、彼らにやってもらえばいいんですから。岡さんには、その仕切りをやってもらいたいんです」と言われた。「なるほど」と思い、専務理事の役をさせてもらうことにした。

 

 実際、三宅君に言われたように、自分があれこれするようなことは、ほとんどなかった。専務理事としての自分の仕事は、何を誰にやってもらうかを決めて、それを割り振るだけだった。三宅君からは「運営面は全て岡さんにお任せします」と言われていた上に、卒業年度ということで、年齢も最年長だったため、とてもやりやすかった。

 

 この年、阪神淡路大震災があり、有志のメンバーでボランティア活動に行った。そこで、理事長の三宅君自ら、うどんの炊き出しをした。三宅君にしてみれば「うどんの炊き出しをしに来たのだから、それをするのが当たり前でしょう」という感覚だった。一方、現地で然るべき人と会う際は、理事長の顔になっていた。その辺りの使い分けがさっとできるところが、三宅君の凄いところだと思う。三宅君にしてみれば、うどんの炊き出しをするのも、然るべき人に対して理事長として振舞うのも、いずれも自分の役割だと考えていたのだろう。三宅君の姿を見ていて、各々が自分の役割をきちっと果たせば、組織は絶対にうまくいくと思った。

 

 卒業送別会のとき、後輩に伝えたいことを「卒業生の挨拶」の中で話した。「OBになったら、もう現役メンバーに口を出せない。言うならこのときしかない」と思ったのだ。一所懸命話したら、いつの間にか四十五分も経ってしまい、来場されていたOBから、ひんしゅくをかってしまった。チャーター・メンバーの澤原梧郎先輩が怒って退席されたことも後で知った。

 

 45分かけて伝えたかった内容とは一言、「自分の役割を一所懸命果たしなさい」ということだった。役割は全メンバーにある。フロアー・メンバーにも、委員会に出席して意見を述べたり、委員会スタッフをサポートするという役割がある。人のせいにする前に、まず自分の役割をきっちり果たすことの方がはるかに大事であるということを伝えたかった。「そうすれば必ず得るものがある」と言った。

 

次のインタビューは、JCに在籍していた間に、よっしゃこい祭を立ち上げた樽村建治君に繋ごう。