森沢大司 先輩 ~人との出会いを通じて感動があり、それが人生の豊かさに繋がる~
JCには、1984年、27歳のときに入会した。同期の中で一番、素直でなく、生意気だった。どちらかと言うと、JCを斜めから見ていた。
翌八五年は、日本JCの研修委員会に出向させてもらった。まずはじめに、一月に京都会議があった。大会場に入ると、「出会い、そして感動」と書かれた垂れ幕が掲げられていた。光広委員長(岩国JC)のスローガンだった。「何とも笑わせるスローガンだ」。これが、そのときの自分の印象だった。
2月には、伊勢修養団で研修があった。全国各地から集まった「猛者」どもは、皆、プライドが高く、最初は互いに牽制し合っていたが、研修が進むにつれ、仲間意識が生まれていった。極寒の中、褌一枚で、氷の張った川に入り、禊をした。蝋燭の火だけがともる中で聞いた道場長の中山靖雄先生の話に、皆、涙した。以降も、毎月、研修があり、当時の一流の経済学者と一緒に乗船し、北方領土を見に行ったこともあった。話では聞くが、実際に行ってみないと分からないことが多いと思った。
この一年間は、今までにない経験の連続で、あらゆる意味で人生観が変わった。同世代に凄い奴がこれほどまでいるのかと思った。研修は格調高く、講師は超一流の人で、聞く話も初めてのものばかりだった。そして、そういった衝撃の体験や、目から鱗の話をものの見事にまとめあげる委員長の光広さんのすばらしさに驚かされた。全国各地に友達ができ、最後は、皆、オイオイ泣いた。人前で泣くというようなことは、これまでの自分にはなかったことである。
また、「感動」という言葉を使うこともほとんどなかったが、それが平気で言えるようになった。「出会い、そして感動」というスローガンを「何とも笑わせる」と思った自分が、劇的に変わっていった。この言葉は、JCそのもの、否、人生そのものだろう。人との出会いを通じて感動があり、それが人生の豊かさに繋がる。そう思えるようになった自分は、ここで一皮むけたかもしれない。会社でも、経営者だからこそ得られる出会いがあるが、それを素直に感謝できる自分の原点は、この年にある。
光広さんは、本当にスマートでさわやかな方だった。あれから二十年以上が経った今でも、毎年、光広さんから誕生日カードが届く。それも、どこで情報を得たのかと思うような一言が必ず添えてある。これを、自分を含め200人近くの人に送られているのだ。本当に尊敬に値する行為であり、こんな素晴らしい方と出会えた自分は幸せだと思う。自分は、一人で生きているのではなく、多くの人の支えのもと生かされている。だからこそ、出会いを大事にしたい。人と出会ったとき、斜に構えているのと、最初からその出会いを大事にしたいと思っているのとでは、その後の流れも、風も違ってくる。出会いを大事にしようという姿勢が、プラスのスパイラルを巻き起こす。そんな実感が、年を重ねるごとに醸成されていった。以降、二年に一回の頻度で、日本JCに出向させてもらった。
91年には、専務理事をさせてもらった。理事長は、槙岡達真さんだった。槙岡さんとの出会いは、自分にとって本当に大きかった。槙岡さんは、妥協を許さない方で、いささかの遠慮もない物言いをされる。あそこまで言える人は、いないのではないかと思う。安直に「前例通り」と言おうものなら、絶対に許さない人で、まさに一年を通して、叱られ続けた。実際、毎日が辛く、専務理事という役をさせてもらいながら、いつも胸ポケットに退会届をしのばせている心境だった。しかし、そこを何とか頑張り抜いた。お陰で、随分と鍛えられ、今、振り返ってみると、ここでも一皮むけたように思う。
槙岡さんは厳しい方だったが、妥協のない姿勢には、多くを学ばせてもらった。「神輿に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」という言葉がある。自分が理事長をさせてもらったとき、諸先輩方から「担ぐ人たちのことを考えて神輿に乗りなさい」と言われたことがあった。槙岡さんは、神輿の上で「孫悟空」のように暴れるようなところがあったが、そこが大きな魅力でもあった。セクレタリーをした大之木洋之介君からも尊敬されていた。あの当時、槙岡さんを乗せて車を運転していると、「はい、右」「はい、左」と、こと細かに車線変更の指示が飛んできた。今、会社の部下と一緒に車に乗っていると、当時の槙岡さんと同じことを言っている自分に気付くことがある。それだけ、知らず知らずのうちに、槙岡さんから大きな影響を受けたのかもしれない。
呉JCには、呉JCの伝統的な価値観や流儀をきちっと伝承される多くの諸先輩方がいた。自分が入会した年にアカデミー委員長をされていた、宮本文博さんもその一人だ。例会が始まるのは、午後六時半からだが、必ずその一時間前から司会の練習をさせられた。宮本さんは「『運営の呉JC』では、事前の準備をきっちりとやるものだ。それをやった上での失敗は許されるが、そこで手を抜いた結果、失敗するのは絶対にダメだ」といつも言われていた。こういったことをきちっと指導できる方が、呉JCの「保守本流」ではないかと思う。
次のインタビューは、その「保守本流」の最たる方である大之木伸一郎先輩にお願いしよう。