濵田一三 先輩 ~子どもの教育も会社の経営も一歩前に出ることが大事~
JCには、1984年、35歳のときに入会した。永田徳博さんが理事長をされた年だった。その年の12月に行われた卒業送別会で、余興のコーナーを任された。先輩方をいかに祝福して送り出せばよいか、新入会員が一丸となって考えた。最終的に、張りぼての馬を使った競馬や、チェッカーズの曲の演奏などを行うことにした。張りぼての馬は、全部で五頭分作成し、それぞれに「染みのネクタイ」(話に夢中になるとネクタイが鍋に浸かっても全く気が付かない堀口勝哉さんのことを指す)や、「仏のみどり」(当時、アカデミー委員会の委員長で、仏のような方だったみどり屋玩具の宮本文博さんのことを指す)といった名前をつけた。その馬を使って会場内でレースを行うことにした。張りぼてといっても本格的なもので、毎晩、皆で集まり、夜中の二時を過ぎるまで、作成にとりかかっていた。チェッカーズの曲は、当時、流行だった。演奏に関しては、皆、素人だったため、毎日、トランペットなどの練習を行った。
あくまで余興ではあったが、決していい加減な取り組みではなく、企画から準備、練習に至るまで、皆が力を結集して実現にこぎつけた。その過程で互いの地が見えるようになり、親しみを感じるようになった。自分とは違ったタイプの人間が多く、非常に個性的という印象だった。意見が合わず、ムッとすることもあったが、後になってその人の立場に立って考えてみると、理解できることが幾度となくあった。また、物事をよく見ており、視点の斬新さに刺激を受けることも多かった。業界も違い、互いに利害関係もなく、その点でも新鮮な環境だった。
87年、教育問題委員会の委員長をさせてもらった。三宅信一郎さんが理事長をされた年である。この委員会は、前年からの引継ぎ事業である「呉の教育を考える会」を開催し、会場の案内や席の確保、会議のまとめなどの運営役を担った。会議の参加者は、大之木精二先輩や、PTA関係の方々だった。この役をさせてもらったことで、子どもの教育に関して、諸先輩方から色々と教わる機会を得た。委員会内でもよく勉強し、その過程で浮んだアイデアの種が、JCを卒業してから、芽を出し、花を咲かせることになった。
自分は、地域ぐるみで子どもの教育に関わるような場をつくりたいと考えていた。当時、PTA会長だった自分は、ある構想を校長先生に持ちかけた。趣旨に賛同してくれた校長先生は、すぐに地元の自治会長に話を持っていってくれ、自治会長も共感し、是非やろうということになった。この間、僅か二時間のことだった。その構想は、「ふれあい小坪文化祭」という名前で実現されることになった。
この文化祭では、地域の方に、陶芸、書道、絵画といった作品を出展してもらい、その上で、子どもたちと地域の人との触れ合いの場をつくり出す。具体的には、お年寄りの方にお願いをして、昔の遊びや玩具の作り方を子どもたちに教えてもらう。人から教えを受け、学び、そのことへの感謝の気持ちを育むことで、「自分もいつか人の役に立ち、感謝されるような人間になりたい」と子どもたちに感じてもらう。これを年に一度、秋に行うことにした。この地域では初めての試みだった。以来、今日まで60年続いている。
最近、子どもが被害者になる凶悪な事件が頻発しているせいか、「地域の子どもは地域で守る」という言葉を耳にすることが多い。しかし、この「守る」という言葉には、どこか違和感を覚える。「守る」ことそのものを否定するつもりはないが、それだけで本当に子どもたちの将来が豊かなものになるだろうか。「目の前の誰かは、悪い人間かもしれない。だから、子どもたちを守らなくてはいけない」といったガード志向の発想からは、ふれあい小坪文化祭のような事業は生まれてこない。ガードを取り払い、一歩前に出る。そこに、子どもたちの将来に繋がる何かがあるという思いでこの事業を続けている。「地域の子どもは地域で守る」ではなく、「地域の子どもは地域で育てる」というのが、自分の理念だ。「守る」という発想からは、将来への広がりがない。
このことは、仕事にも通ずるところがあるように思う。当社は、金属の曲げに関する技術を扱っている。中には、苦労の末に解決し、それによって得た技術やノウハウもある。同業他社も、きっと当社が直面したのと同じ悩みを抱えているに違いない。そう考え、技術やノウハウの一部を近隣のライバル企業に無償で教えてあげることがある。その結果、大変感謝される。これをずっと続けていると、どんなことが起こるか。ライバル企業の方から、当社に有用な情報を提供してくれるようになり、ときには、仕事を頼まれることもある。自社のノウハウを守ろうという考え方に固執していたら、このような状況は生まれないだろう。そういう偏狭な考え方にこだわることの方がよほど損だと思う。
「守る」という発想からは、豊かな将来は生じ得ない。子どもの教育も会社の経営も「一歩目前に出る」ことが大事だ。そんな確信も元をたどれば、JCで教育問題委員会の委員長をさせてもらったところに行き着く。その意味で、自分にとって、JCに入会させてもらったことの意義は大きい。
次のインタビューは、先日、素晴らしい講演をしてくださった梶岡幹生先輩にお願いしよう。