JCで一皮むけた経験

大之木精二 先輩  ~日本JCへの出向で、世の中の広さに驚き、勉強する癖がつく~

 1969年、日本JCの企画委員会に出向させてもらった。当時34歳だった自分は、ここで、JC生活で最大の衝撃を受けることになる。この頃は、委員会の数も少ない時代で、委員会に入れさせてもらうこと自体、稀少価値があった。とりわけ、この企画委員会は、日本JCの中でも頭脳的な存在で、「世の中には、なんとすばらしい男たちが多くいるものか」と驚愕した。皆、理路整然と話し、抜群に頭が良かった。世の中の広さに驚き、「これは勉強しないと自分はダメになる」と強く思い、それ以降、勉強する癖がついた。委員会は、月に一回のペースで行われた。あの頃は、まだ東京‐広島間に新幹線が走っておらず、夜行列車で大阪まで行き、そこから新幹線に乗り換えて、東京まで通っていた。
 

 

 70年には、日本JCで総務委員長をさせてもらい、続く71年には、日本JCの常任理事総務室長をさせてもらった。この年、日本JCにおける何年かぶりの会頭選挙があった。長野JC、横浜JC、京都JCから立候補者が出る、三つ巴の選挙で、選挙管理委員長は、69年に会頭をされた牛尾治朗さんだった。このとき、総務室長だった自分は、牛尾さんから選挙に関わる事務全般を任された。参考になる過去の資料もなく、公職選挙法から紐解いて、一から勉強した。選挙という性格上、自分に対する中傷もあり、「それはおかしいのではないか」と責められることもあった。しかし、何とか最後までやり通した。

 

 都内のホテルで投票を行い、その場で開票したところ、選挙に勝ったのは、長野JCの小野正孝さんだった。選挙後、牛尾さんに「よくやってくれた」と褒められた。尊敬していた方からこのような言葉をかけられ、有頂天になったのを今でも覚えている。全国規模のイベントで初めて実行責任を負っただけに、達成感も大きかった。

 

 73年には、今度は自分が会頭選挙の選挙管理委員長をさせてもらった。昭和9年生まれの同い年である、東京JCの前田完治さん(三修社社長)と、大津JCの三浦道明さん(三井寺円満院住職)との間の一騎打ちの選挙だった。71年に、牛尾さんのもとで会頭選挙に携わったときは、参考になる過去の資料もなく、一からやらないといけなかったが、この年は、二年前のデータがあり、また何よりも自分自身の経験があった。そのため、前回のときほど苦労することはなかったが、選挙後に冷汗をかいたことがあった。郵便での投票に関して、自分はある種の拡大解釈をしたまま、選挙を行っていた。その点を落選した三浦さんが「おかしいのではないか」と突いてきたのである。三浦さんは、日本JCのLDの権威と言ってもよく、弁のたつ方だった。ここで窮地に追い込まれた自分を救ってくれたのは、直前会頭の小野さんだった。二年前の会頭選挙で当選したあの小野さんである。小野さんは、自分がとった手法が何ら問題ないことを論じてくれた。三浦さんもそれに納得され、自分は窮地を免れることができた。

 

 72年には、LOMで理事長をさせてもらった。この年の京都会議では、日本JCの会費を増額するという案件で総会が紛糾し、最後にいよいよ採決をとろうかという場面で、自分は挙手をし、賛成演説をうった。その後の採決では、賛成多数で可決された。総会終了後、この自分がとった行動に、当事者であった財務委員長の森本弘道さん(広島JC)が大変喜んでくださった。今、振り返ってみると、一歩踏み込んだ行動だったかもしれないが、前年に日本JCで常任理事総務室長をさせてもらっていたので、場の雰囲気にも慣れていたのだと思う。壇上にいた人たちも、その大半が昨年までの仲間だった。

 

 その年、春に中国地区大会が呉で開催され、秋には創立20周年の式典も行われた。同じ年に二つの大きな事業があり、大変だったが、メンバーが結束して事にあたってくれたおかげで、いずれも成功裏に終えることができた。結束のすばらしさや、ありがたさを実感した。地区大会の懇親会は、二河プールで行われ、かがり火が焚かれる中、会頭の小野さんが、得意のラテン音楽の歌(ベッサメ・ムーチョ)を歌ってくださった。この上なく、いい雰囲気だった。

 

 同年、呉市の第一次長期総合計画審議会の副会長をさせてもらった。会長は市議会の議長で、副会長は若い世代の代表がよいということで、たまたまその年、理事長だった自分が、その役をさせてもらうことになった。自分の場合、JCで市民運動を行っていたおかげで、「公」の視点が自然と身に付いていた。この視点があったおかげで、この大役もまっとうできた。この「公」の視点は、その後、呉市や広島県の教育委員をさせてもらったとき、あるいは第三次長期総合計画審議会の会長をさせてもらったときにも活きた。「公」の視点が身に付くと、公平な見方ができるようになり、経営者としても、自社だけが儲かればよいという発想ではなく、より一層、倫理をわきまえるようになった。ものの見方の基本をJCで教わったと言ってもよいだろう。

 

 JCに入った以上は、睡眠を削ってでも一所懸命に活動をしないとダメだと思う。「JCとは、野を越え、山を越え、友を求めていく運動である」と言われる。まさにそれを実感する。一所懸命、活動していく過程で、何人もの生涯の友を得た。70年から72年の間に日本JCへ出向していた役員メンバーでつくった同窓会に、「012会」という会があり、今でも、年に一度は集まっている。開催場所は持ち回りで、2002年には、呉で行われ、多くの仲間が呉まで足を運んでくれた。こういう生涯の付き合いができる仲間を持てたのは、JCのおかげである。
若い現役メンバーには、ビジョンを持って欲しい。そのためにも、しっかり勉強する必要がある。また、市民運動の先頭に立っていることの誇りと、青年らしいロマンチズムを持って欲しい。一所懸命やっていれば、必ず何かに繋がってくる。自分もかつてそうだった。

 

こういったインタビューには、佐々木長男さんは欠かせないだろう。