JCで一皮むけた経験

相原準一郎 先輩  ~厳しい言い方をした方が、相手の心に染み入る~

 1986年、29歳のとき、入会候補者面接の三分間スピーチで「私はマージャンをやる相手を見つけるために入会しました」と言った。自分のJC生活は、こんなレベルからのスタートだった。しかし、この三分間スピーチは、実際のところはとても緊張していた。それまで人前での挨拶などやったこともなく、また二度とやりたくないと思った。それにひきかえ、この年、理事長をされていた長柄雅守さんや、スポンサーをしてくださった槙岡達真さんのスピーチは、まさに立て板に水のようだった。「どうすれば、あんな風に話せるようになるのだろうか」といつも不思議に思っていた。

 

 入会2年目の年に、堀口勝哉さんが中国地区協議会の会長をされた。そのとき自分は、セクレタリーをさせてもらった。堀口さんのスピーチは、大うけすることが多かった。しかし、ご本人は、挨拶は苦手という意識を持っておられるように思えた。そのため、いつもきちっと原稿を作成されており、しかもその原稿は、一語一句推敲された、まさに完璧なものだった。実際、話される内容は、ほぼ原稿通りだったのではないかと思う。たとえ、苦手意識があっても、あそこまで準備をして臨むことで、それを微塵も感じさせないスピーチができるのかと感心したのを覚えている。

 

 そんな自分も、その後、JCで色々な役をさせていただくにつれて、人前で話す機会が増えていった。そのため、入会したときのことを思うと、随分と話せるようになったと思う。しかし、苦い失敗をしたこともある。94年、副理事長をさせてもらった年に、呉市長や官僚の方が来られた事業があった。そのとき「今日は自分の挨拶はないだろう」と高をくくっていたのだ。そこへ、理事長の森沢大司さんから「お礼の挨拶をしてください」と急に振られてしまった。動揺を隠して挨拶を始めたものの、話そうと思っていたことが途中で頭から飛んでしまい、約30秒もの間、黙り込んでしまった。30秒というのは相当長い時間である。その間、焦りが増幅していった。皆は、自分が話せるものとばかり思っていたようだった。

 

 この失敗を通して、「どんなときも挨拶をする機会はあり得ると考えて、準備と心構えだけはしておく必要がある。また、急に振られた挨拶にうまく対応するには、常日頃から物事のとらえ方の感覚を磨いておき、話題の引出しを充実しておかないといけない」と思うようになった。

 

 89年、経営開発委員会の委員長をさせてもらった。担当例会の講師を決めるのに「大阪マルビルの社長(当時)である吉本晴彦さんにお願いしたい」と担当副理事長の川本洋生さんに言った。すると「なぜ、吉本さんなんだ。講演を聞いたことがあるのか。いいかどうかは、実際に聞いてみないと分らないだろう。著書が面白いからといって、講演がうまいとは限らないんだぞ」とひどく叱られた。日頃、マージャンを楽しくやっていた間柄でもあり、これほどまでに厳しく言われるとは、まるで思ってもみなかった。あっさりと了解してもらえるとばかり思っていたのだ。

 

 その後、吉本さんが神戸JCの例会で行った講演テープを入手し、それを聴いてみたところ、実際、話は面白く、「これならよい」ということになった。正直、あのときは「なぜそこまでする必要があるのか」と反発する気持ちが強かった。しかし、五年後に今度は自分が副理事長をさせてもらったときは、「川本さんは、よくあのとき叱ってくれたなあ」とありがたく思った。その立場になってみないと分からないこともある。厳しいことを言ってあげる優しさもあるとそのとき思った。

 

 確かに、厳しい言い方をすると、それを愛情ととらず、かつての自分がそうであったように、かえって反発を招くこともある。そのため、オブラートに包んだ言い方をするのも一つの方法かもしれない。しかし、それだと、耳を傾けてくれるかもしれないが、心に響かないことが多い。逆に厳しい言い方をする方が、その場では素直に聞くことができなくても、時間をかけて心に染み入ることがある。とりわけ、利害関係のないJCメンバー間では、厳しく言う方が、最終的には分かってもらえることが多いのではないかと思う。

 

 JCだけでなく、自分の業界でも同じようなことがあった。現在、日本酒市場は右肩下がりであり、もっと中身を良くしていかないと、この業界に将来はないと思っている。そのため、自分は業界の若手に対して、とても厳しい言い方をすることがある。「うるさいなあ」と思われているかもしれないが、それを後々になって「ありがたかったです」と言ってくれる人間もいる。
入会当初は、当社の銘柄(雨後の月)を知っているメンバーは、ほとんど誰もいなかった。それが、世の中で少し認知され始めた頃、ある雑誌の日本酒コンテストで優勝したことがあった。それを受けて、有志のJCメンバーが祝賀パーティを開いてくれ、60人を越えるメンバーが集まってくれた。卒業する頃には、何人かのメンバーが行く先々の飲食店で、ないことを承知で、「雨後の月はないのか」と聞いてくれるようにもなった。そういう気遣いが嬉しかった。JCに入って、自分を応援してくれる人が増えたように思う。

 

 JCでは、良いことも悪いことも、全て入り混じった状態で大量の経験を浴びるため、経験の逐次の取捨選択が難しい。その分、後での振り返りが大切になってくる。一皮むけることができるかどうかは、経験をした後の振り返りで、何かに気付くことができるどうかにかかっていると思う。

 

次のインタビューは、95年に指導力開発委員会の委員長をさせてもらったとき、仮入会員だった金原一次君に繋ごう。