JCで一皮むけた経験

神田政明 先輩 ~自らの犯した不義理を行動で詫びる~

 JCに入会したのは、一九八七年で、当時、三十三歳だった。あの頃は、JCに入会する人はまだ限られていた時代だったので、自分としてはその場にそぐわないのではないかと思っていた。しかし、そんな自分を対等な一メンバーとして迎え入れてくれ、商売だけの世界では得難い経験をいくつもさせてもらった。

 

 九一年、室長をした。この年の五月、呉で高知JCとの合同例会が行われた。次の日は、懇親ゴルフが予定されていたが、例会後は、明け方四時近くまで高知JCのメンバーの方と飲んでいた。二時間ほど睡眠をとるつもりで帰宅したのだが、気がつくと、既にスタート時間をとっくに過ぎていた。携帯電話もない時代であり、今さら、ゴルフ場に電話してもどうにもならなかった。一緒の組で回る予定だった高知JCの副理事長の方はもとより、高知JCのメンバーの皆さんに対して、大変な不義理を犯してしまったと思った。そのとき、自分はとっさにハサミを取り出し、頭を丸坊主にした。

 

 その後、ゴルフ場まで車を飛ばし、到着するや否やクラブハウスの食堂に向かった。そこで高知JCの理事長と一緒に食事をとられていた理事長の槙岡達真さんのもとに歩み寄ると、槙岡さんから「帽子をぬげ」と一喝された。帽子をぬいで坊主頭をさらしながら、一連の事情を説明し、自らの不義理を詫びた。槇岡さんからは、「お前は、何を考えているんだ」と叱られたが、「午後はキャディとして俺の組について回れ」と言われ、その言葉にしたがった。自分としては、申し訳なさのあまり、とっさに出た行動であったが、今でも槙岡さんからは、「あのときのお前は、単に酔った勢いで丸坊主にしただけだろう」と言われる。

 

 九三年には、アカデミー委員長をさせてもらった。このとき、高知JCと合同で仮入会員のセミナーを行った。海上自衛隊呉教育隊への体験入隊を一泊で行ったのだ。こういった事業が行われた背景には、九一年のあの一件以来、自分の中で高知JCに対して特別な仲間意識が醸成されていたことがあった。今でも高知の方々との交流は続いており、何かあれば声をかけていただける。こういったネットワークがJCで得た一番の財産かもしれない。

 

 今、振り返ってみると、入会以来、毎年、休むことなく、役を受け続けた。休もうなどという気はさらさらなかった。目的の達成に向けて皆が一途に取り組む。JCのそんなところが、きっと魅力的だったのだろう。後で考えると、「結構くだらないことに精を出したなあ」と思うこともあるが、当時は、皆が必死の思いでやっていた。言わば、無償の情熱だ。それがあったからこそ、ずっと突っ走ってこれたのだと思う。また、心の底から、尊敬できる先輩や後輩にも出会うことができた。彼らにできることが、なぜ自分にはできないのか。そのことをいつも考え続けた。そこに自分の成長を促す原動力のようなものがあったのかもしれない。

 

 次のインタビューは、賀谷満夫さんに繋ごう。賀谷さんには、自分が結婚するときに仲人をしていただいた。今回も嫌がられるかもしれないが、きっと受けてくださるだろう。