やぶの楽しみ方

今回のつれづれKUREは、「やぶ」についてである。

 

 

多くの地方において、秋祭りが催され、そこで鬼が出るのも決して珍しくはない。

 

 

しかし、呉の秋祭りにおいては、鬼ではなく「やぶ」が出る。

 

 

呉市外の方からすると、「やぶ」といってもピンとこないかもしれない。

 

 

本来であれば、動く「やぶ」をお見せして、「これがやぶである」とお伝えしたいところであるが、残念なことに、本年度は、新型コロナウィルス感染症の拡大により、各地の秋祭りが中止ないし縮小されており、呉市内も例外ではない。

 

 

そのため、動くやぶをお見せすることはできない。

 

 

どうしたものか・・・と思っていたところに、我らが呉JCのOBで、2011年度に理事長をされた堀口悟史先輩が、「「呉のやぶ」面展」を開催されていることを知った。

 

 

この個展は、呉市中通のれんがどおり内にある街かど市民ギャラリー90で行われており、14人の作家に焦点をあてて、やぶの面を展示しているものである(11月9日(日)まで開催)。

 

 

何かヒントはないか・・・と展覧会に足を運び、会場内にあった開催趣旨(実物は会場で確認してもらいたい)を拝見すると、2つの驚くべきことが書かれていた。

 

 

1つは、やぶの面を彫る人は、年々増加しており、近年ではかなり若い人も彫り師として活躍していること。

 

 

もう1つは、彫り師といっても専業の職業として彫っている人はおらず、師匠がいるわけでもない。どこかにマニュアルがあるわけでもない。全て我流で行っているため、自分以外の彫り師がどんな道具を使ってどう彫っているのかも知らないということであった。

 

 

 

つまり、やぶの面は、彫り師の方々が、各々の感性や手法で製作しているものということである。

 

 

 

これは呉市外の出身である私にとって驚きであった。

 

 

 

個人的な経験としては、一方で、祭りは年々すたれており、参加者の高齢化が目立っており、他方で、独自の伝統やしがらみが多いイメージで、そこに面の製作という限られた範疇とはいえ、独創性を働かせる余地があるとは想像もしたことがなかったからである。

(もちろん、独創性を働かせて製作した面も、それを使う地域で受け入れられないと、やぶとして表舞台に出ることはない)

 

先に述べたとおり、今年は、動くやぶの魅力的な姿をお見せすることはできないが、呉市民が持っているやぶに対する愛着の由来や、やぶ文化を支えるコミュニティのことをお伝えするべきではないか・・・。

 

 

そう考え、堀口先輩が代表取締役社長をされている堀口海運株式会社を訪ね、お話を伺った。

 

 

堀口先輩は、やぶに関する膨大な情報や写真を自身のブログで公開されている(「呉のやぶ」http://kureyabu.hatenablog.com/)。

 

 

当初は、いい写真を撮りたいという動機で祭り巡りを始めたとのことで、ブログ内では、やぶの魅力的な写真が多数掲載されている。

 

 

この圧倒的な情報量からするに、さぞ昔から「呉のやぶ」が好きで、情報通であったのだろうと思っていたが、意外にも、かつては「焼山のやぶ」のことしか知らなかったとのことであった。

 

 

堀口先輩によると、どの地域の人たちも、自分が生まれ育った地域のやぶが好きで、他の地域のやぶへの関心は薄く他所のやぶを見て変と感じる人も少なくないらしい。

 

 

それはなぜなのか、と話を進めると、やぶ文化が各々の地域の共通体験によって伝承されているからではないかとのことであった。

 

 

つまり、「やぶ」らしい面構えや振る舞い、所作というのも、それを見た人々が「やぶらしい」と思えるかどうかで決まり、予め呉全域に共通の条件が定まっているわけではないという。

 

 

そして、その「やぶらしさ」というものが、コミュニティにおける世代を超えた共通体験を通じて形成されるのである。

 

 

かくいう堀口先輩も、自身の少年時代におけるやぶ体験が今になっても忘れられないと言う。

 

 

「よごろ」(祭りの前日)の日は、下校時にやぶに遭遇しないかとびくびくしながら帰る。やぶに見つかると、当時は、割と本気で追いかけられ、先の割れた竹や綿の詰まった重い紐でこっぴどく叩かれたりしていたらしい。

 

 

にもかかわらず、離れた距離にいるやぶを見つけると、少年たちは、「やぶ、やぶ、クソやぶ」と大声でやぶをからかい、「来てみいや」と挑発する。それに気づいたやぶが全速力で追いかけてくると、必死に逃げ回る。そんな恐怖心と好奇心が相半ばするスリルがたまらなく楽しく、毎年、「よごろ」が近くなると指折り数えていたという。

 

 

日頃普通に登下校している町内に、1年に一度だけ訪れる非日常的な空間。

それを創り上げているのは、追いかけるやぶと逃げる子どもたちだけでなく、自らの子ども時代を思い返しながら懐かしみ見守る大人たちも含まれているのかもしれない。こうした共通体験の積み重ねによって、やぶが地域のアイデンティティとなっているのである。

 

 

だからこそ、地域の人々にとって、やぶは自分の生まれ育った地域のものが一番なのだろう。

 

 

やぶを通じて、呉市内の中心部とその周辺という極めて限定された地域内においても、これほどまでの多様性があることを知ることができる。

 

 

堀口先輩によれば、地域の人たちがそれぞれの思い入れをもって行う「やぶ談義」は、祭りそのものとはまた別の意味で楽しいと言う。

 

 

 

実際のやぶを見ることができない今年は、「呉のやぶ」面展に足を運び、面の迫力や細部のこだわりをじっくり味わってみるのはいかがだろうか。

 

 

そして、それをネタにあちらこちらでやぶ談義に花を咲かせてみる。

 

 

寂しい秋ではあっても、こんな楽しみ方もある。